2010年5月31日月曜日

コトバひろい食い
#02 喧嘩をあずかる



ぼくが子供のころ、晩ごはんのしたくができると、母は言った。
「お父ちゃんを呼んできてごせ。松浪におおなあけん」
(お父ちゃんを呼んできてくれ。松浪におられるから)
〈松浪〉というのは近所のよろず屋で、店の奥にカウンターがあって、夕方になると、おっつぁんやちがコップ酒を立ち飲みしていた。カウンターの中では店主が、作業着の上にそのときだけ白衣を着て、一升瓶から酒を注(つ)いでいた。
「お父ちゃん、晩ごはんだよ」
「おん、わかった」
でも父は、二度、三度、呼びに行かないと切り上げない。といっても、八時には閉店する店だったから罪はなかった。
その店では、おっつぁんやちが下の名前で呼び合っていた。
たけちゃん、とおるさん、しげちゃん、まさやん……。
父は、よーやん、だった。ぼくが父を呼びにいくと知らないおっつぁんが、
「よーやんの所の若(わ)け衆(し)か、一杯飲んで行かんかや」
と、ピーナツの小袋をくれたりした。

大人になってから、たがいに苗字でしか呼び合わないバーに何度か行った。あれはバブル全盛のころ、仕事の流れで行った六本木の店だ。
バーテンダーたちは優雅でそつがなく、きれいな指をしていた。ルビー色のカーペットの毛足は長く、上等な革靴とは相性がいいのに、スニーカーみたいな靴のときは、ふわふわしすぎて踏み心地が悪かった。
そのバーへいっしょに行ったのは、苗字でしか呼び合わない関係の人たちとだった。これは、その中のひとりの言葉だけど、
「いいヤツに、いい仕事はできない。できるヤツというのは、悪い男で、しかも悪いことをしない男なんだ」
そんなハードボイルドな格言が似合うバーで、でも、本当のことを言うと、ぼくはその店ともメンバーとも、友人になりきれなかった。バーテンダーにも、お客さんにも、下の名前があるはずなのに、それをみじんも感じさせなかったし、
その店にはいつも、カジノのような、たくらみごとの匂いがしていた。カップルで来ているお客たちの様子にも、ベッドに行きつくまでの駆け引きが見え隠れしていた。
ぼくらを連れていってくれた営業マンは、話題が外国で起きている内紛のことになったとき、
「戦争はビジネスチャンスです」
と言い切った後で、当たり前すぎることを口走ってしまった、と恥じた。終戦記念日がいつなのかを知らなかったときは、ただ笑っていたのに。

そんな店からの帰りには決まって、ぼくのことを、ヒデ、と呼ぶバーに立ち寄った。ラストでそんな場所に帰りたがるのは、ぼくの酒場の原風景が、〈松浪〉だからかもしれない。
〈松浪〉のことでは、忘れずにいる言葉がある。
ある晩、いつもどおりに父を呼びに行くと、雰囲気がちょっと違っていた。わさわさしているはずの店は静まりかえり、ピンとした緊迫感があった。ぼくは、一瞬、父に声をかけられなくて、そのとき空気を引き裂いて、ひとつの声がひびいた。
「その喧嘩、わしがあずかった!」
スパッと、男気のある声だった。カウンターにどよめきが起こった。それから、日本酒の甘くさい匂いとともに、おっつぁんやちの甲高い話し声がもどってきた。
前後のことはわからない。声の主が、たけちゃんなのか、よーやんなのかもわからない。ただ、そのセリフだけがぼくの耳に残っていて、
酒場というのは、喧嘩をあずけたり、あずかったりできる場所なのか。そして、大人というのは、あんなにもさり気なく、力強く、平和をつくれるものなのか、と、そんなあこがれが残った。

◆◆◆   ◆◆◆

ジロウ、たっちゃん
下の名前で呼び合えば
みんな12歳にかえった

ゆき、ショウタ、はやと
下の名前で呼び合えば
初めて会った人も
みんな12歳だった

12歳という肩書きだけを
その明るい肩にのせて
こんなにもひとしく
いのちだった

◆◆◆   ◆◆◆

2010年5月30日日曜日

いまどきの40オトコは自分でメシをつくる
#02 史上最強のチキン南蛮!



VOL.2 「チキン南蛮定食」

 ワシが生まれ育ち、今も暮らしている呉市は日本海軍とともに大きくなった街である。呉と言われて一番最初に頭に浮かぶのは「戦艦大和」が作られた街。 2005年にオープンした呉市海事歴史科学館(通称「大和ミュージアム」)は、いまでも多くの観光客でにぎわっている。そしてもうひとつ呉といえば「肉じゃが発祥の地」。かの東郷平八郎元帥がビーフシチューの味が忘れられずに作るように命じたが、日本海軍の料理人には作り方がわからず、よく似たものをつくったのが「肉じゃが」として定着した、というものである。じゃあ、今回の料理紹介は「肉じゃが」かって??、まさか・・。肉じゃがのレシピは発祥の地「呉」にある「くれ肉じゃがの会」のホームページを見ればいい。発祥の地に残っている文献のレシピなのだから、肉じゃがというもののレシピはこれなのだ。

 「肉じゃが」・・よく、男が女性に作ってもらいたい料理・・として紹介されるが・・そんなはずはない。少なくてもワシの周りには女に作ってもらいたい料理の第一位に「肉じゃが」をあげるやつは見たことが無い。ましてや今時の若いやつらが彼女に作ってもらいたい料理に「肉じゃが」をあげるとは思えない・・・それなのになぜ肉じゃがは男が女性に作ってもらいたい料理の代表格なのか・・・謎である。

 では、反対に女性が食べたぁ〜〜い、と思う料理、作ってもらいたぁ〜〜い料理ってなんだろう。

 ワシ的にはズバリ!!!「チキン南蛮〜〜〜(ドラえもんの口調で)」

 サクサクの衣に、ジューシーな鶏肉、ピリ辛の漬けダレにコッテリ濃厚なタルタルソース。その抜群のバランスは、どんな女性を口説くための殺し文句をも凌駕する。史上最強である。

 チキン南蛮は「南蛮酢」と「タルタルソース」さえ作っておけば、あとは簡単な料理である。だからポイントは「南蛮酢」&「タルタルソース」、まちがっても出来合いのものを使わないでほしい。「南蛮酢」でピリ辛、大人の味を演出し、コッテリ濃厚「タルタルソース」でより深みのあるハーモニーを醸し出すのだ。ワシは「南蛮酢」の隠し味にレモンスライスを加えることで、濃厚な食べ応えのなかに、かすかに感じるスッキリ感、清涼感をプラスしている。今が旬のキャベツをめちゃめちゃ細い千切りに南蛮酢をたっぷりつゆだくにして、タルタルソースたっぷりの鶏肉とともに食す。激美味!!。チキン南蛮といえば定食や持ち帰り弁当も定番なので、これまた今が旬の豆ごはんなどを炊いて、おみそ汁と一緒に食卓に並べるのが、また良い。

 タルタルソースは作り方さえ覚えておけば、カキフライやエビフライ、その他いろんな料理に添えると本格洋食店の料理になるし、南蛮酢はその名の通りもちろん南蛮漬けにそのまま使えるし、カツオのタタキにかけても絶品であるよ。

*Cooking BGM Album「whitemints」(mintmints)

レシピ チキン南蛮
用意するもの

タルタルソース
タマゴ
玉ねぎ
マヨネーズ
コショウ
パセリ

南 蛮 酢
だし汁
砂糖

しょうゆ
鷹の爪
レモン

鶏もも肉
薄力粉

コショウ
キャベツ
白いりごま
青ネギ


*画像をクリックすると拡大表示されます

1)まずタルタルソース作り。
タマゴ2個をゆで卵にして、細かくみじん切り。玉ねぎ1玉もみじん切り。

タマゴと玉ねぎをたっぷりのマヨネーズで和える、コショウでアクセント付けて、細かくきざんだパセリも入れてできあがり。

ワシはピクルス入りは好きではないが、お好きな方はお好みで・・・。


2)今回のポイント、南蛮酢作り。
だし汁1カップに、醤油大さじ3杯、酢大さじ3杯、砂糖大さじ3杯、に鷹の爪を一本加えて沸騰させる。

火を止めたら、レモンスライスを数枚入れて冷ます。





3)
鶏もも肉は均一に火が通るように、身には軽く切り込みを入れ、皮の側には竹串などでプスプスって感じで穴をあける。まあ、このあたりは適当でっっ。

4)薄力粉を同量くらいの水で溶いて衣を作る。
本場宮崎ではタマゴを入れたフリッターのようなのだけど、ワシはモチモチよりサクサクのほうが好きなのでタマゴは入れない。3)の鶏肉に塩コショウをし、薄く小麦粉をつけて、衣をつける。










5)

フライパンに深さが2センチくらいになるよう揚げ油を入れて熱し、鶏肉を皮が下になるように入れて中火で揚げる。

すぐにひっくり返さないように・・じっくりとしっかりと、衣がキツネ色でカリカリになるまで揚げていく。




6)

揚げあがったら、2)の南蛮酢に浸す。

7)
お皿にたっぷりの千切りキャベツを敷き、6)を食べやすい大きさに切って盛りつける。

キャベツがつゆだくで浸るように南蛮酢をかけて、1)で作ったタルタルソースをかけ、白ゴマ、青ネギをちらす。

8)
今が旬の豆ごはん、みそ汁を添えて、定食屋の「チキン南蛮定食」のできあがり。

ガッツリとつゆだくキャベツと一緒に口に入れてくれっ。マジ美味いからっ。









9)

タルタルソースはエビフライやカキフライにも使ってねっ。サーモンのソテーとかに添えても美味いぞ。

南蛮酢は、文字通り南蛮漬けにどうぞっ。カツオのタタキにかけても最高。

2010年5月20日木曜日

未来からのラブレター
#01(誕 生)こんにちは



こんにちは あかちゃん わたしが パパです
これから パパは あなたに つたえたいことを かいて
みらいに てがみを だそうと おもいます

パパも ママも まだまだ べんきょうちゅうで
これから かくことは じつは あなたと いっしょに あるきながら
わらったり ないたり あそんだり まなんだりして かいたものです

パパは あなたが ころんでも じぶんで たてることを しっています
でも ときには ママに だきしめてもらったり
パパに あまえたり することが だいすきなのも しっています

そんな あなたが おおきくなったら
どんなときに パパの ことばを ひつようと するのでしょう?

パパの そうぞうでは きっと パパの ことばなど ひつようありません
けれど おおきくなっても ときには だれかに だきしめてほしかったり
あまえたいときが あるのかも しれませんよね

そんなとき どうか パパが みらいに おくった てがみを
ゆっくり ひらいて よんで みてください

つぎに かく てがみからは かんじで かきます
もしも まだ よめなかったら
それは まだ よむ ひつようが ないということです

さて まず はじめに パパが あなたに つたえたいこと
それは ことばを おぼえはじめたら
いちばんに あいさつを たいせつに してください

おはようございます おやすみなさい いただきます ごちそうさま
こんにちは こんばんは ごめんなさい ありがとう

それは あなたが しゃかいに かかわる さいしょの いっぽ
そして その たいせつさは ずっと かわりません

ことばは なんのために だれに いってるのかを
りかいして つかうと ことばに いのちが やどります

だから パパが あなたに いう だいすきは
ほかの だいすきとは まったく いみが ちがうのです

なにげない あいさつに こころを こめることは
あなたの すむ せかいに あいを やどすこと なのです

パパが いま いちばん つたえたい ことばは これです
パパは いつでも どこにいても あなたを あいしています

コトバひろい食い
#01 納まりがいい



借りたまま、まだ返していない物が気になる。貸したまま、まだ返ってこない物よりもひっかかる。つくづく小心者だと思う。
近所のいつものそば屋で、支払いのときになって財布を忘れたことに気づいて、あたふたしてしまう。今度でいいですよ、と言われたのに、早足で帰り、財布を握り、急いで払いにもどる。お金や物もそうだけど、事もそうで、返していない恩を思い出して、ふと心苦しくなる。

ジンさんは、かるく命の恩人だ。
そのころ、ぼくは、今よりもっとお金がなかった。飲みに出ても、帰りのタクシー代がもったいなくて、でも終電に間に合うように切り上げるには飲み足りなかった。
そこで自転車にした。
そんなある晩、酔っ払って自転車にまたがり、ペダルを踏み込むたびに、バッタン、バッタン、倒れていた。どうして倒れてしまうのか、自分ではわからなかった。踏み込んでは倒れ、起き上がり、また踏み込んでは倒れ、通りがかったタクシーに何度も轢かれそうになっていた。それを、ちょうど飲みにきたジンさんが見つけて、
「ヒデ、何やってんだ! お前、死ぬぞ!」
ジンさんは自転車にカギをかけさせ、ぼくをタクシーに押し込んだ。そして、運転手に一万円札を渡して見送ってくれた。
その朝、というか昼過ぎ、痛みで目覚めると、両ヒジ、両ヒザが血だらけになっていた。その夜は、さすがに飲みたくなかったけど、ジンさんに一万円を返さなければと出かけ、待ち伏せした。
でも、ジンさんは現れず、それ以来、ジンさんはもう現れなかった。



◆◆◆   ◆◆◆

ことばは うそをつくので
その林では ことばが消去された

もう ことばでは決着をつけられなくなった

ごめんなさいを伝えられずに
いつまでも いつまでも 悔いるしかなかったし

さようならを届けられずに
いつまでも いつまでも 別れつづけるしかなかった

木陰に
声になれなかったこころが こころのままで咲いていた

その花の名も消されていた

◆◆◆   ◆◆◆

ジンさんも来ていたそのバーは、蚤の市みたいな店だった。お客が拾ってきたマネキン人形の手首が置いてあって、棚に並んだラムネびん色のガラス器も拾い集めた物だった。
ある日、自宅の壁紙を貼り替えたお客が、余ったシートを捨てるのがもったいないからと持ち込んで、勝手にカウンターに貼った。もともとベニヤ板のチープなカウンターだったのが、マーブル模様のステキなカフェバー風になってしまった。
そのカウンターを初めて目撃したジンさんは、「はがしていい?」と、マスターの返事を待たずにはがしはじめた。居合わせた他のお客も、マスターもぼくも手伝ってはがした。
ジンさんは元にもどったカウンターで飲みながら、「この方が納まりがいい」と言った。

〈納まりがいい〉は、ぼくには馴染みのある言い方だ。
ぼくの父は建具屋だったけど、それを最高級のほめ言葉として使っていた。ふさわしいとか、マッチするとか、それだけの意味じゃない。
長ければ百年くらいは使う建具は、たてる人にも、その子や孫にも、美しくなければならない。美は、結局は個人の好き嫌いに落ち着くにしても、だからこそ誰かと共有する喜びがあって、次の世代に伝える喜びがあった。
〈納まりがいい〉は、美しさの中でも、分かち合える美しさを示す言い方だった。
実家を改築したとき、父は、「納まりがいいけん」と、中庭に面した縁側に雪見障子をたてた。雪見障子は、知らない人のために書いておくと、一見は全面が障子だけど、下半分を上にスライドさせるとガラス面が現れて、上は障子、下は透明ガラスになるあれだ。ふだんは障子を下ろして、縁側からの日差しや視線をさえぎる。雪の日、幕を上げるみたいに半分を上にスライドさせると、ガラス越しに雪の白がのぞく。上には障子の白、下には雪の白、白のふたつの温度を、少し大袈裟だけど、ぼくは父から受け継いだ気になっている。

ジンさんを見かけなくなって何年も経ってから、新宿駅のホームでばったり会った。
ジンさんは、見つかってしまったという顔で、もう荻窪にはいないのだと言って、少し間をおいた。もう東京にはいないのだと言って、また少し間をおいた。九州に帰ったのだと言って、それ以上、帰った事情とかは話さなかった。
その最後の間を埋めるために、ぼくは、あのときのタクシー代を返します、と財布から一万円札を出した。ジンさんは忘れていたらしく、ぼくが解説すると、そんなこともあったかな、と目を細めて、
「その金は、次のやつに返してくれればいいよ」
と言った。「オレも、東京では、いろんな人に世話になったんだ。そのちょっとを、お前に返しただけだよ。その金も、若いやつに、次に来るやつに返してくれればいい」
と、ジンさんは口元だけで笑って、じゃあ、と背中を向けて、
ぼくの手の中の一万円札は、それが、貸しとか借りとかじゃなくて、リレーのバトンみたいなものだと思えば、少しは納まりがついた。

いまどきの40オトコは自分でメシをつくる
#01 「広島風お好み焼き NAOバージョン」



「オトコの料理」、、イメージ的には、普段は奥さんに家事を任せっぱなしの親父が、たまの休日に家計の事も後片付けも考えないで、贅沢に食材を買い込んで、台所をグチャグチャにしながら豪快に作って強引に家族に食べさせる・・って感じ??。それとも今の社会風潮で、男も家事や育児に積極的に参加しろって強制されて、簡単料理本片手に悪戦苦闘する草食系男子・・って感じ??。なんとなくどっちもイケてない。もっと自然体でオトコはメシを作ればいい。だって料理の上手なオトコって絶対モテるし・・。

 最近、本屋では「手軽に簡単、料理レシピ」とか「手間をはぶいて短時間クッキング」・・とかいう手合いの本が人気あるらしいけど、困ったもんだ。料理っていうものは、一手間も二手間も余分に掛ける、下ごしらえをしっかりする・・ということで、より一層美味しくなる。簡単に作れることに越したことはないが、最初からお手軽を求めてはいけない。

 季節の食材を大事にする、ということも大事だ。日本には四季があり、日本人はよその国と比べても格段に四季を感じることを大切にしてきた国民である。日本料理も季節感というのが重要なポイントなのだ。もちろん今後紹介していく料理レシピは、和食にこだわらず、和洋中さまざまだけど、旬の食材を大事にするってことだけは押さえていきたい。

 ・・・で、初回だけは「この料理でお願いしますっっ」って指定があって・・、それが「広島風お好み焼き」・・。ワシが広島人だからなんだけど。

 おいおい、お好み焼きって季節感ないじゃん・・なんて思っている方は大間違い。お好み焼きって言うだけあって、そこに入れる食材にその時々の旬のものを入れれば良いっ。そして、なぜ今の季節に取り上げるかっていうと、春は八百屋に「新キャベツ」が並ぶ時。やわらかく甘みの強い新キャベツの売られる春は、キャベツがメイン食材となる広島風お好み焼きを紹介するのにぴったりの季節である。

 広島風、っていうのは俗に言う「大阪風まぜ焼き」とはまったく違う料理である。お好み焼きという名前ではあるが、「焼き」料理、というよりは「蒸し焼」料理なのだ。

 大阪風と言うと自分で焼いたりする店もあるが、広島風は職人が焼いてくれたものを食べる店しかない。なぜかって広島風を作るには大きな鉄板と微妙な火加減が必要なので、なかなか素人には難しいのである・・。しかし、家庭には大きな鉄板も無いし、ホットプレートでは微妙な火加減の調整も難しい。そこで今回は、家庭には必ずあるであろうフライパンと中華鍋の二つで、失敗なく作る方法を伝授しよう。

 もっとも難関である、生地をひっくり返す作業もこれで心配する必要が無い。
まずはフライパンで小麦粉を水で溶いた生地をクレープのように焼いて、お皿に取っておく(これが蒸し焼きの蓋になる)。次は広島風には欠かせない「そば」であるが、、麺は特に焼きそば用の麺を使う必要はない、、中華そばの麺で構わないので、一度軽く茹でてからフライパンでしっかりカリカリになるまで焼こう。家で焼きそばを作る時もそうだけど、とにかくそばをよく焼くということを覚えておこう。このそばを焼く作業が中途半端だから、生臭くってビチョビチョの焼きそばになってしまう。

 そうそう、イカ天だけは忘れないように、、これがないなら広島風を作るべからず、、ってくらいだ。あとは紹介したレシピ通りに食材を重ねて、じっくり時間をかけてキャベツを蒸して甘みを引き出せば失敗なく完成である。ソースは企業宣伝をするわけではないがオタフクお好みソースを必ず使うべし。

ミルフィーユのように何層にも食材が重なり合って生まれてきた小宇宙。

 まずは冷えたビールを喉に流し込み、熱々のお好み焼きを食す・・・美味し。
*Cooking BGM Album「The course of Life」(Earthshaker)

●レシピ 広島風お好み焼き NAOバージョン

用意するもの

薄力粉
キャベツ
モヤシ
青ネギ
イカ天
豚バラ肉
中華麺

魚粉
とろろ昆布
青海苔

コショウ
サラダ油
オタフクお好みソース


1)
薄力粉を水でゆるめに溶き、弱火のフライパンにクレープの要領で薄く丸く広げ、魚粉をかけて、片面のみ軽く焦げ目ができるまで焼き、お皿に取っておく。






2)
中華麺をお湯で軽く茹でて、フライパンに移し塩コショウをして、じっくりとカリカリになり焦げ目がつくくらいまで焼きあげ、これも別のお皿に取っておく。味の濃いのがお好みの方は焼きあがりにウスターソースで味付けされてもよし。




3)
サラダ油をひいた中華鍋に、豚バラ肉を並べ塩コショウをして、








イカ天、モヤシ、とろろ昆布、荒い千切りにしたキャベツの順にミルフィーユ状に重ねていき、








最後に最初に作った生地を焼き目が上に来るように載せて、じっくり10分から15分弱火で焼いていく。








生地が蓋の役目をして、具材が蒸し焼きにされていく。キャベツは蒸されて凄く縮むので、びっくりするくらい山盛りに入れよう。ヘラで押さえつけるようなことはせず、自然にペッタンコになるのを待つのだ。




4)
中華鍋の材料がペッタンコになってきたら、別のフライパンに卵を落として黄身はつぶして最初に作った生地同様クレープ状に広げよう。たっぷりのきざんだ青ネギを載せ、その上に(2)で作った焼きそばを載せる。




5)
フライパンの具材の上に、中華鍋で焼きあがった具材を載せる。








ここでふたつのサイズがぴったりといくように作れていれば完璧だっ。








6)
卵が焦げないうちに、ここで一度だけフライ返しでひっくり返し、生地をカリッとさせるため強火にして1分少々焼こう。このときにオタフクお好みソースをたっぷりとかける。生地からソースがこぼれおちて、フライパンでソースが焦げる香りで、鉄板で焼いたがごとくの「お好み焼き」を演出するのじゃ。



7)
そのままお皿に移し青海苔をかける。好みによってかつお節やマヨネーズもいいけど、ワシ的には広島風にかつお節やマヨネーズは邪道だと思っておる。

8)














あとはお好みでソースを足しながら、熱々のうちにいただきま~す。美味し。

9)
これが基本形なのであとは豚肉以外にも牡蠣やイカ、いろんな好みの食材を試してみればよい。牛スジ煮込みなどを入れても美味いぞっ。

日常のシンクロニシティー
#01 大切に思うのは「人とのつながり」



人生が変化するときには「3つのRが揃う」と言われる。Right Place、Right Time、そして、Right Person。しかるべき場所に、絶好のタイミングでいあわせたことで、重要な出会いに恵まれるという意味だ。

これまでの転機を振り返ってみると、そういう絶妙な出会いがいくつもあったことに気がつく。仕事も、恋愛も、結婚も。もっと他愛なく、日常に近いできごとなら数えきれない。(あなたもきっと、そうでしょう?)

いま、こうして『Soul Relations』に拙い文章を書いているのも、二十数年ぶりの再会があったから。出会いの「場所」は、インターネットという新たな世界を得、あちらこちらに広がっている。

生活の場を日本の外に移して、もう20年以上が過ぎた。結婚し、子供が生まれ、離婚し、年齢だけは十分すぎるほど「大人」に なったけれど、中身はあまり変わっていないような気がする。ただ、人はひとりでは生きられないことを実感したり、様々な出会いに感謝する気持ちは、以前よりずっと強くなった。「人は見かけによらない」とか「人に歴史あり」も、その通りであることを学んだ。

機械にできることが増え続け、コミュニケーションの手段も激変したいま、大切に思うのは「人とのつながり」だ。続く縁があり、フェイド・アウトしてしまう関係があり、すれ違いや決裂もあったりするが、「袖触れあうも他生の縁」だと思って過ごしている。ちなみにこれは、欧米人に説明するのが最も難しい言葉のひとつだ。

「必然的な偶然」とか「シンクロニシティー」という概念がとても好きな私は、起こったことをただの偶然と片付けるのがいやで、込められた意味を探ってしまう。「袖触れあうも…」的に考えれば、すべての出会いは3Rが揃った結果になるが、その揃い方が多少ドラマティックなケースをシンクロニシティーと呼んでいる。

 たとえば、最近ではこんなことがあった。

1. 地元の日本人向けのウェブサイトで「留守中猫を預かってくれる人を求む」広告を発見、連絡すると、引き受けてくれる人がちょうど決まったところだった。

2. カナダの舞台芸術や映画を世界にプロモートしている知人から、1年ぶりに連絡があり「日本のダンスや演劇にくわしい人を知らないか」。

3. 突然、髪を切りたいと思い、上記のサイトで日本人の美容師を見つけ行った先には、私が預かりたいと思ったまさにその猫たちがいた。

4. 彼女は、日本では音楽業界でヘアメイクとして活動していたとのこと。話がはずみ、ご主人が呼ばれて登場。

5. 彼はダンサーで、「日本のダンスや演劇にくわしい人」だとわかる。

6. その後、友人と話していたら「紹介したい人がいる」と。話を聞くと、ヘアメイクの彼女だった。

今後どのようなおつきあいになるのかはわからないが、出会うべくして出会った気がする。

かつては親しかったのに、いつの間にか疎遠になってしまった人が、急に気になって仕方がないということもある。実はいまもそういう人がひとり。実家の住所しかわからないけれど、手紙でも出してみようかな。

シアワセの住み処(すみか)〜現役ナースによるダイエットレポート!〜
#01 今日も巻いて跳ねて動いて引っ張って!



最近の穏やかな毎日にシアワセを感じている私ですが、ここ数カ月真剣に悩んでいることがあります。

それは、穏やかすぎる日々のせいか、年のせいなのか・・・よくわかりませんが、じわりじわり増えていく「体重」と、崩れていく「体型」。

いつものお店で試着する洋服も何か変・・・去年着ていた洋服もどこか違う・・・何が違うのかと考えた末、行きついた結論はそこでした。

そこで、ゴールデンウイークを前に決心しました。本気のダイエット!

とはいえ、私のモットーは前記したもの。日々、楽しくシアワセに過ごすには、苦痛を伴ってはいけません。そのため、どんなダイエットがいいかな・・・と考えた私・・・。

気合だけは充分過ぎるほど準備できました。スイーツは我慢できない!ので、食事はそのまま。だったら・・・と日々の生活を振り返り、運動が足りないと気付いた私は、超簡単な運動を取り入れてみることにしました。

本屋さんにも行き、参考文献も探しました。その結果、準備したものは、見た目のかわいいバランスボール、チューブトレーニング用のチューブ、巻くだけでみるみる痩せる(参考文献にはそう書いてありました)という巻くダイエットベルト。この3点で始めることにしました。

ダイエットを始めるにあたり、一年以上乗っていなかった自宅の体重計に電池を入れ体重測定もしました。こういう恐怖もあるんだと思いながら・・・。体重51㎏・・・この数字をここに書いただけでもストレスで痩せそうな気がしますが、目標は「楽しく-3㎏」。

そして……、巻いて動いて、引っ張って、一週間が経ちました。体重は、まだ動きません。たぶん、この一週間、実家に帰省していたため、バランスボールに乗れなかったせいだと思います (笑)

まわりには誘惑がいっぱい。ダイエットに挑戦する!っていうだけで、自分のまわりの魅力を再認識します。その「気づき」って案外、「シアワセ」なことかも・・・。

そんなことを思いつつ、今日も巻いて跳ねて動いて引っ張って・・・みます。

自分の行方(酔っぱヨタ与太備忘録)
#01 東京浅草 遅い午後



 桜の季節が過ぎても相変わらず浅草寺界隈は人いきれ。
通りに面した焼き鳥屋で若い女性がホッピーを元気におかわりし、その隣ではオヤジが梅割り(甲類焼酎コップ一杯を梅シロップで割り受皿にこぼしたモノ)片手に見えない誰かと話していた。

 参道から脇に入った、大きな提灯のぶら下がる居酒屋で一杯やっていると、縄暖簾をくぐり店内に入ってきた初老の客と目が合った。仕立ての良さそうな薄墨色のスーツに渋派手な小紋柄のネクタイ。
私は視線をテーブルに戻し、そこにある澤乃井(東京都青梅のお酒)をグビリと飲った。
初老の紳士は私の隣の席に「すとん」と腰を下ろした。
先程、目が合ったので会釈はしたが知合いという訳ではないはずだ。
店は空いていて席は彼方此方にあるのにだ。
なぜ?
誰かと勘違いされたのかもと、思うのだが話しかけては来ない。彼はチューハイとチートマ(トマトスライスに豆腐とチーズをやはり薄切りにして載せたもの)を店の兄さんに注文した。
その後も、ちらちらと私の方を見るのだが話しかけられる事は無く、どこか気味悪いが杯を重ね酔いも時間も進み だんだん気にならなくなった。

 3杯めの澤乃井が空く頃 店は満席になっていて近くの場外馬券売り場から流れてきた客達が賑やかに本日の成果を報告、というより愚痴りあっていた。
私は4杯めを頼み、ツイッターに「生中一杯お酒三合、飲んで呑まれて酔い好い宵」「さらに飲んじゃうもんね」などとiPhoneから つぶやいた。酔っている証拠だ。
しかし(ツイッターの)タイムライン上は皆、仕事に集中しているのかデートなのか酔っぱらいの相手などしたくないのか未だ静かだ。

ん!
気配を感じて顔を上げるとテーブル反対側の客達が私と隣の初老の客を交互に見てはニヤニヤぼそぼそしている。
横目で隣を見ると40センチは離れて座っていた筈の紳士の肩が、くっ付きそうな程そばにある、しかも目玉をトロンとさせて私を見つめている?
しかもしかも鞄を載せているはずの私の左太腿の上には彼の掌っ!
うぎゃ~っ

 二十代の頃、1月後半から3月初め頃までハワイ・オアフ島で過ごしていた。(と書くと格好いいが現実は...)安いコンドミニアムを共同で借りたり現地で知り合った友人宅に泊めてもらったりしていて、その時もホノルル動物園の近くに住む友人の所へ居候していた。
頼まれていた芝刈りを終えたので昼寝でもしようと思いウォークマンとゴザ、それから紙袋に入れたビール二本を持って近くのカピオラニ公園へ行き木陰に寝そべった。
昼下がりのビールは最高だ。小一時間経ったろうか、体格のいい金髪二枚目に話しかけられた。「あなたのウォークマン見せてください」。
まだハワイで発売されていない機種なので興味があるのだろう。貸してやると、代わりに彼のウォークマンを渡してくれた。(そのウォークマンからは琴の調べで「さくら」が流れていた。私が聴いていたのはSTYXだったと思う)
彼はサンフランシスコから来たそうで、来週には本土へ戻るのだそうだ。
日本の事やオアフ島の北と南側に住む人の違い、カリフォルニアの海岸線の話などをしていて、ふと会話が途切れた。
その時すぐ前を何事かブツブツ言いながら侮蔑したような目でコチラを睨む太ったオバサンが通り過ぎていった。

ん?
彼は「気にするな」と言う。
あれ?
海に向かって座っていた私は芝生の方へ振り返る。
そこには必要最小限の水着を着けた......マッチョな人達がイッパイいる?
あらら?

なるほど、そういう場所だったんですねココは。
(ハイ、私が知らなかっただけです)

その気はないので
私は彼に挨拶をして(逃げるように)帰り支度を始めた。
すると彼が私の腕を掴み今夜ウチでパーティあるから来ないか?と聞く、予定があるからと断る、では君のホテルへ遊びに行ってもいいかと聞く、腕は強く掴まれたまま。私は咄嗟に以前泊まった事のあるアラワイ運河沿いのホテル名と室番号を教え、じゃ明日ね!と言う、よし分かった明日遊びに行くぜと彼が言う。
開放された。
あと少しで新世界を開いてしまうトコロだった。

嘘ついてゴメン、ラリー
ホテルの部屋に宿泊していた人にも御免なさい。
と、心の中で何度も謝った...。

 私は新たに運ばれて来た澤乃井を一息にグイッと飲み干し、紳士の顔を眺めながら空になったコップを受皿(升)に戻しつつ反対の手で、太腿に置かれている掌を彼の膝に返した。
そして
静かに席を立った。
(升に残った、わずかな酒に未練を残しつつ)

私は成長した...か?

リン・マサオミ

ライヴハウスのプロデューサーと音を楽しむ”音楽は人間だ”
#01 「ソシアル・マネー(ヒトとアブラ)」 有頂天



今でこそインターネットで音楽が24時間年中無休で買える時代になったのですが、レコードの終焉とCDの台頭が同時にやってきた時代が青春時代だった自分は、ネットで音楽を買うなんて、まったくできません。

やっぱりジャケットあっての音楽だと思うし、ジャケットがないと逆に不安になってくるのです。
パソコンの画面でみるジャケットは、正直信用ならんのです。
だって2次元じゃん。

コピー用紙ではダメだ。印刷工場でちゃんと印刷されて、なおかつ実際に手の中にある、という感触も音楽を聴くという行為と同時にほしいのです。

「音楽は、聴覚はもちろん、視覚触覚も必要だ。」

これはさっき自分で思いついた名言ですが、まさにその通りじゃないですか。CDまたはレコードというものを、ちゃんと持ちましょう。

と書きましたが、よくよく考えてみると、感覚はほかにも必要なことに気がつきました。
例えば、すごく臭いところで音楽を聴いたとします。その音楽を後々聴くと、匂いまで思い出したりしませんか。自分は、します。

それから、おいしい料理を食べていて、そこで流れていたBGMを別の場所で聴くと、おいしさを思い出したりもします、よね。自分は、します。
みんながしなくても、自分は、します。
だからさっきの名言は訂正します。

「音楽は、聴覚はもちろん、視覚触覚臭覚味覚も必要だ。」

名言はこんなに長かったらダメですよね。短くしましょう。

「音楽は、人間だ。」

よくわからなくなりました。
とにかく音楽というのは生活に密着したものなのだ、と声を大にして言いたいのです。だってそうでしょう。音楽を耳にしない日はまずないです。どこかで必ず音楽が流れているはずです。目覚まし代わりに音楽をタイマーで流したり、通勤中にも仕事中にも、コンビニに買い物に行ってもテレビをつけても、どこもかしこも音楽で埋め尽くされています。世の中から音楽がなくなったとしたら、どんなに寂しいか。たぶん、発狂することでしょう。そこには音しかないんだもん。
重要なのでもう一度書きます。

「音楽は、人間だ。」

ほら、あながち間違いではなさそうです。
「音」ではありません。「音楽」です。生活にいっぱいいっぱいでも、楽しむ余裕が人間には無意識に存在するのです。

なんだか哲学っぽくなってきました。やめましょう。音楽と生活について書きたいだけなのです。哲学ってよくわからないし。

こう考えていくと、音楽って、考えれば考えるほど奥が深いことがわかります。
でもここで注意です。

一番重要なことは、「考えずに無意識で聴く」。これじゃないですかねえ。
意味なんて考えず、何かに没頭しながらでもいいし、歌詞を目で追いながらでもジャケットを目にしながらでもいいです。とにかく意味を追ってはいけません。

そう思いながら、自分を変えたバンド「有頂天」を聴くといいです。
意味なんかどこにもありゃしない。とにかく、自分に合ってればいいんです。

松岡英明 From Tokyo

1967年12月23日生まれ。山羊座のO型。出身地は横浜。

中学生の頃に出会ったDuran Duranに影響を受け、MTV世代の申し子として、1986年11月1日、EPICソニーより布袋寅泰&ホッピー神山プロデュースによる、シングル/ア ルバム『Visions of Boys』を同時リリースしてデビュー。

PATi PATiをはじめとしたティーン向け人気音楽雑誌の表紙を飾り、NHK総合テレビ「JUST POP UP」の初代メインパーソナリティーに抜擢されるなど、音楽活動と並行して、多くのラジオ・テレビのレギュラー番組の司会もつとめた。

また、ミュージカルの舞台にも多数出演するなど、多方面のメディアで多彩な才能を発揮している。

その後、2008年2月17日、ミュージカルで競演して知り合った奥様の(旧姓:鈴田)林沙さんと入籍。同年7月26日、第1子となる愛娘・天鞠(てまり)ちゃんが誕生した。

現在42歳となったロック界の貴公子は、2011年11月1日、いよいよデビュー25周年を迎える。

オフィシャルサイト
詩人。

1961年、鳥取県生まれ。

大学在学中に詩誌「鳩よ!」(マガジンハウス)でデビュー。

著書に、散文詩集「まっと、空の方に。」、詩集「海底プール」、小説「船のキップ」(以上、文遊社)、絵本「やさしい魔法の使い方」(角川書店)など。

大木"NAO"直也 From Kure, Hiroshima

昭和38年広島県呉市生

大学進学の際、ROCKミュージシャンを目指して上京。
アルバイト先の日本料理店で腕を見込まれ、料理を学ぶ。

その後、家業である地元「呉」の洋服店を継ぐが、父親の死去をきっかけにライブのできるHARD ROCK BARをオープン。

ミュージシャン交友も広く、田舎町「呉」では考えられないようなライブも多数開催している。
社会政策にも精通し、政治家の秘書も経験し議員をめざして出馬経験も・・。
日本文化をこよなく愛しており、茶道の先生でもある。

料理は趣味ではなく、「日々のおこない」であると豪語し、
家庭では家計をあずかり、日夜台所に立つ。
右手にギター、左手に包丁、ROCKと家庭をこよなく愛する日本男児。

ブログNAO'S BAR

関 陽子(せき ようこ)From Montreal,CANADA

ライター、リポーター、コーディネイター。


主に音楽関係の分野で、雑誌編集、映像制作などに関わった後、1989年、ニューヨークに移住。1993年よりモントリオール在住。

NHK『ラジオ深夜便』では、1990年の番組開始当初から『ワールド・ネットワーク』の海外リポーターを担当。これまでに、NHK-FM、MBS毎日放送、CBC中部放送、ZIP-FMなどでも定期的なリポートを提供している。

また、雑誌や書籍・ウェブサイト等の記事作成、映像作品の撮影コーディネーション、通訳、翻訳などを手がける。いちばん好きなのはインタビューの仕事。
著書に『GLAY ACT ONE』(祥伝社)、『国際結婚<危険な話>』(洋泉社)ほか。

だいだい From Kyoto

京都在住、独身女子です。
仕事は、看護師をしています。病棟勤務から院内の保育室へ異動して3年目に入りました。
今は一般的なイメージの 看護師の仕事とは少し違う仕事していますが、異動するまでの病棟勤務での経験は、現在の私に大きな影響を与え、私の人生の財産です。モットーは、「1日1 日を大切に」。その瞬間のシアワセが積み重なって、将来があるのだから、今のシアワセを大切に、それを積み重ねていきたいと思っています。
趣味は お菓子作り。本格的に習い始めたお菓子作りは、披露する場もないまま6年目になります。スイーツを食べてるときって、だいたい楽しい時もしくは、食べてる うちに楽しい気分になる時が多いですよね。そこが、好きなところです。作るのも楽しいし、それを見て、食べて、喜んでもらうのがシアワセです。
日 々、それなりに悩みもありますが、楽しいことを探し、好きと思えることや人に出会いたいと思いながら過ごしています。

リン・マサオミ From Tatebayashi,Gunma

1959年群馬県生まれ 
建築設計・施行業務を行う小さな会社の役員
福島・群馬・東京・大阪を移動する日々

お酒大好きです。
写真撮ってます。
プロフィールの写真はヘベレケ酔いを自ら記録したものです。

渡部省吾(わたなべしょうご)From Yonago,Tottori

1971年7月生まれ。
2000年6月、米子市のライブハウス「ベリエ」に入り、ブッキングマネージャー→店長→プロデューサーとして君臨。ライブが好き なくせに夏が苦手な38歳。好きな音楽はニューウェーヴ(特に80年代〜90年代ジャパニーズ)。

米子ベリエ