2010年5月20日木曜日

ライヴハウスのプロデューサーと音を楽しむ”音楽は人間だ”
#01 「ソシアル・マネー(ヒトとアブラ)」 有頂天



今でこそインターネットで音楽が24時間年中無休で買える時代になったのですが、レコードの終焉とCDの台頭が同時にやってきた時代が青春時代だった自分は、ネットで音楽を買うなんて、まったくできません。

やっぱりジャケットあっての音楽だと思うし、ジャケットがないと逆に不安になってくるのです。
パソコンの画面でみるジャケットは、正直信用ならんのです。
だって2次元じゃん。

コピー用紙ではダメだ。印刷工場でちゃんと印刷されて、なおかつ実際に手の中にある、という感触も音楽を聴くという行為と同時にほしいのです。

「音楽は、聴覚はもちろん、視覚触覚も必要だ。」

これはさっき自分で思いついた名言ですが、まさにその通りじゃないですか。CDまたはレコードというものを、ちゃんと持ちましょう。

と書きましたが、よくよく考えてみると、感覚はほかにも必要なことに気がつきました。
例えば、すごく臭いところで音楽を聴いたとします。その音楽を後々聴くと、匂いまで思い出したりしませんか。自分は、します。

それから、おいしい料理を食べていて、そこで流れていたBGMを別の場所で聴くと、おいしさを思い出したりもします、よね。自分は、します。
みんながしなくても、自分は、します。
だからさっきの名言は訂正します。

「音楽は、聴覚はもちろん、視覚触覚臭覚味覚も必要だ。」

名言はこんなに長かったらダメですよね。短くしましょう。

「音楽は、人間だ。」

よくわからなくなりました。
とにかく音楽というのは生活に密着したものなのだ、と声を大にして言いたいのです。だってそうでしょう。音楽を耳にしない日はまずないです。どこかで必ず音楽が流れているはずです。目覚まし代わりに音楽をタイマーで流したり、通勤中にも仕事中にも、コンビニに買い物に行ってもテレビをつけても、どこもかしこも音楽で埋め尽くされています。世の中から音楽がなくなったとしたら、どんなに寂しいか。たぶん、発狂することでしょう。そこには音しかないんだもん。
重要なのでもう一度書きます。

「音楽は、人間だ。」

ほら、あながち間違いではなさそうです。
「音」ではありません。「音楽」です。生活にいっぱいいっぱいでも、楽しむ余裕が人間には無意識に存在するのです。

なんだか哲学っぽくなってきました。やめましょう。音楽と生活について書きたいだけなのです。哲学ってよくわからないし。

こう考えていくと、音楽って、考えれば考えるほど奥が深いことがわかります。
でもここで注意です。

一番重要なことは、「考えずに無意識で聴く」。これじゃないですかねえ。
意味なんて考えず、何かに没頭しながらでもいいし、歌詞を目で追いながらでもジャケットを目にしながらでもいいです。とにかく意味を追ってはいけません。

そう思いながら、自分を変えたバンド「有頂天」を聴くといいです。
意味なんかどこにもありゃしない。とにかく、自分に合ってればいいんです。

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