2010年5月20日木曜日

コトバひろい食い
#01 納まりがいい



借りたまま、まだ返していない物が気になる。貸したまま、まだ返ってこない物よりもひっかかる。つくづく小心者だと思う。
近所のいつものそば屋で、支払いのときになって財布を忘れたことに気づいて、あたふたしてしまう。今度でいいですよ、と言われたのに、早足で帰り、財布を握り、急いで払いにもどる。お金や物もそうだけど、事もそうで、返していない恩を思い出して、ふと心苦しくなる。

ジンさんは、かるく命の恩人だ。
そのころ、ぼくは、今よりもっとお金がなかった。飲みに出ても、帰りのタクシー代がもったいなくて、でも終電に間に合うように切り上げるには飲み足りなかった。
そこで自転車にした。
そんなある晩、酔っ払って自転車にまたがり、ペダルを踏み込むたびに、バッタン、バッタン、倒れていた。どうして倒れてしまうのか、自分ではわからなかった。踏み込んでは倒れ、起き上がり、また踏み込んでは倒れ、通りがかったタクシーに何度も轢かれそうになっていた。それを、ちょうど飲みにきたジンさんが見つけて、
「ヒデ、何やってんだ! お前、死ぬぞ!」
ジンさんは自転車にカギをかけさせ、ぼくをタクシーに押し込んだ。そして、運転手に一万円札を渡して見送ってくれた。
その朝、というか昼過ぎ、痛みで目覚めると、両ヒジ、両ヒザが血だらけになっていた。その夜は、さすがに飲みたくなかったけど、ジンさんに一万円を返さなければと出かけ、待ち伏せした。
でも、ジンさんは現れず、それ以来、ジンさんはもう現れなかった。



◆◆◆   ◆◆◆

ことばは うそをつくので
その林では ことばが消去された

もう ことばでは決着をつけられなくなった

ごめんなさいを伝えられずに
いつまでも いつまでも 悔いるしかなかったし

さようならを届けられずに
いつまでも いつまでも 別れつづけるしかなかった

木陰に
声になれなかったこころが こころのままで咲いていた

その花の名も消されていた

◆◆◆   ◆◆◆

ジンさんも来ていたそのバーは、蚤の市みたいな店だった。お客が拾ってきたマネキン人形の手首が置いてあって、棚に並んだラムネびん色のガラス器も拾い集めた物だった。
ある日、自宅の壁紙を貼り替えたお客が、余ったシートを捨てるのがもったいないからと持ち込んで、勝手にカウンターに貼った。もともとベニヤ板のチープなカウンターだったのが、マーブル模様のステキなカフェバー風になってしまった。
そのカウンターを初めて目撃したジンさんは、「はがしていい?」と、マスターの返事を待たずにはがしはじめた。居合わせた他のお客も、マスターもぼくも手伝ってはがした。
ジンさんは元にもどったカウンターで飲みながら、「この方が納まりがいい」と言った。

〈納まりがいい〉は、ぼくには馴染みのある言い方だ。
ぼくの父は建具屋だったけど、それを最高級のほめ言葉として使っていた。ふさわしいとか、マッチするとか、それだけの意味じゃない。
長ければ百年くらいは使う建具は、たてる人にも、その子や孫にも、美しくなければならない。美は、結局は個人の好き嫌いに落ち着くにしても、だからこそ誰かと共有する喜びがあって、次の世代に伝える喜びがあった。
〈納まりがいい〉は、美しさの中でも、分かち合える美しさを示す言い方だった。
実家を改築したとき、父は、「納まりがいいけん」と、中庭に面した縁側に雪見障子をたてた。雪見障子は、知らない人のために書いておくと、一見は全面が障子だけど、下半分を上にスライドさせるとガラス面が現れて、上は障子、下は透明ガラスになるあれだ。ふだんは障子を下ろして、縁側からの日差しや視線をさえぎる。雪の日、幕を上げるみたいに半分を上にスライドさせると、ガラス越しに雪の白がのぞく。上には障子の白、下には雪の白、白のふたつの温度を、少し大袈裟だけど、ぼくは父から受け継いだ気になっている。

ジンさんを見かけなくなって何年も経ってから、新宿駅のホームでばったり会った。
ジンさんは、見つかってしまったという顔で、もう荻窪にはいないのだと言って、少し間をおいた。もう東京にはいないのだと言って、また少し間をおいた。九州に帰ったのだと言って、それ以上、帰った事情とかは話さなかった。
その最後の間を埋めるために、ぼくは、あのときのタクシー代を返します、と財布から一万円札を出した。ジンさんは忘れていたらしく、ぼくが解説すると、そんなこともあったかな、と目を細めて、
「その金は、次のやつに返してくれればいいよ」
と言った。「オレも、東京では、いろんな人に世話になったんだ。そのちょっとを、お前に返しただけだよ。その金も、若いやつに、次に来るやつに返してくれればいい」
と、ジンさんは口元だけで笑って、じゃあ、と背中を向けて、
ぼくの手の中の一万円札は、それが、貸しとか借りとかじゃなくて、リレーのバトンみたいなものだと思えば、少しは納まりがついた。

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