2010年5月31日月曜日

コトバひろい食い
#02 喧嘩をあずかる



ぼくが子供のころ、晩ごはんのしたくができると、母は言った。
「お父ちゃんを呼んできてごせ。松浪におおなあけん」
(お父ちゃんを呼んできてくれ。松浪におられるから)
〈松浪〉というのは近所のよろず屋で、店の奥にカウンターがあって、夕方になると、おっつぁんやちがコップ酒を立ち飲みしていた。カウンターの中では店主が、作業着の上にそのときだけ白衣を着て、一升瓶から酒を注(つ)いでいた。
「お父ちゃん、晩ごはんだよ」
「おん、わかった」
でも父は、二度、三度、呼びに行かないと切り上げない。といっても、八時には閉店する店だったから罪はなかった。
その店では、おっつぁんやちが下の名前で呼び合っていた。
たけちゃん、とおるさん、しげちゃん、まさやん……。
父は、よーやん、だった。ぼくが父を呼びにいくと知らないおっつぁんが、
「よーやんの所の若(わ)け衆(し)か、一杯飲んで行かんかや」
と、ピーナツの小袋をくれたりした。

大人になってから、たがいに苗字でしか呼び合わないバーに何度か行った。あれはバブル全盛のころ、仕事の流れで行った六本木の店だ。
バーテンダーたちは優雅でそつがなく、きれいな指をしていた。ルビー色のカーペットの毛足は長く、上等な革靴とは相性がいいのに、スニーカーみたいな靴のときは、ふわふわしすぎて踏み心地が悪かった。
そのバーへいっしょに行ったのは、苗字でしか呼び合わない関係の人たちとだった。これは、その中のひとりの言葉だけど、
「いいヤツに、いい仕事はできない。できるヤツというのは、悪い男で、しかも悪いことをしない男なんだ」
そんなハードボイルドな格言が似合うバーで、でも、本当のことを言うと、ぼくはその店ともメンバーとも、友人になりきれなかった。バーテンダーにも、お客さんにも、下の名前があるはずなのに、それをみじんも感じさせなかったし、
その店にはいつも、カジノのような、たくらみごとの匂いがしていた。カップルで来ているお客たちの様子にも、ベッドに行きつくまでの駆け引きが見え隠れしていた。
ぼくらを連れていってくれた営業マンは、話題が外国で起きている内紛のことになったとき、
「戦争はビジネスチャンスです」
と言い切った後で、当たり前すぎることを口走ってしまった、と恥じた。終戦記念日がいつなのかを知らなかったときは、ただ笑っていたのに。

そんな店からの帰りには決まって、ぼくのことを、ヒデ、と呼ぶバーに立ち寄った。ラストでそんな場所に帰りたがるのは、ぼくの酒場の原風景が、〈松浪〉だからかもしれない。
〈松浪〉のことでは、忘れずにいる言葉がある。
ある晩、いつもどおりに父を呼びに行くと、雰囲気がちょっと違っていた。わさわさしているはずの店は静まりかえり、ピンとした緊迫感があった。ぼくは、一瞬、父に声をかけられなくて、そのとき空気を引き裂いて、ひとつの声がひびいた。
「その喧嘩、わしがあずかった!」
スパッと、男気のある声だった。カウンターにどよめきが起こった。それから、日本酒の甘くさい匂いとともに、おっつぁんやちの甲高い話し声がもどってきた。
前後のことはわからない。声の主が、たけちゃんなのか、よーやんなのかもわからない。ただ、そのセリフだけがぼくの耳に残っていて、
酒場というのは、喧嘩をあずけたり、あずかったりできる場所なのか。そして、大人というのは、あんなにもさり気なく、力強く、平和をつくれるものなのか、と、そんなあこがれが残った。

◆◆◆   ◆◆◆

ジロウ、たっちゃん
下の名前で呼び合えば
みんな12歳にかえった

ゆき、ショウタ、はやと
下の名前で呼び合えば
初めて会った人も
みんな12歳だった

12歳という肩書きだけを
その明るい肩にのせて
こんなにもひとしく
いのちだった

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